『アダム・スミス ぼくらはいかに働き、いかに生きるべきか』(日経ビジネス人文庫)を読みました。純粋なスミスの入門書としては読めないけれど、著者(=木暮太一氏)のメッセージが、スミスの著書『国富論』『道徳感情論』からうまく引き出されていると感じました。

あらゆる行動は、自分のなかの裁判官に従うべき

いちばん納得したのは、「おわりに」のある部分でした。人間のあらゆる行動は、自分の中の裁判官や内なる声に従うべき、とスミスは考えていて、その声に従うことが、人間として正しい行動する条件としています。

いいものがわからなくなっている時代

ただ、著者は、「いいもの」が何なのか、わからなくなっているケースも多いのではないかと指摘します。結果として、二番煎じ、他社のマネがあふれていると。自分がいいと思っていたわけではなく、世間がそれを評価している「らしい」から、自分の売り始めたにすぎないと、分析しています。

執筆テーマは内なる裁判官に従ったものか

これは本のテーマを考えるときにもあり得る状況です。自分が書くべきことでないのに、二匹目のドジョウ、三匹目のドジョウを狙ってしまうのです。売上と利益の拡大に至上命題的に取り組んでいる現代社会では、「おいしいマーケット」があれば、そこに興味を持つのは自然なことかもしれません。

「売れそう」「買ってくれそう」は禁物

ただ、スミスに従えば、その執筆テーマは、自分の中の裁判官の意見に従ったものなのか?を問う必要があるということなのでしょう。裁判官の意見にしたがっているかどうかの判断は、本気で薦められるかどうか、であると著者は語っています。「買ってくれそうだから」「売れそうだから」という発想は禁物なわけです。

最後に

自分は、書籍のテーマは裁判官の意見に従ったものでありつつ、売れそうなものを探すことは不可能ではないと思っていて、その両方の軸が交差するところは必ずあると思っています。ただ、どこで交わるかは真剣に探らないと見えてこないと思っています。「結果として」売れた本はかなり作りこまれているし、何気なく作られているところにその技が隠されているのです。
==【昨日の活動・所感】==================
・執筆のタイミングは絶対にある。今書かなければ書けないかもしれない。頑張って書けばいいというわけではなく、企画のタイミングや編集者の関心は常に変化する。
・午前中ランニング。部屋、大掃除。夕方、取材の準備。あっとう間の1日。

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