先日、ある著者と話していたときのことです。「自分はこういうことが書きたい、こういう意見を述べたい、という意識はあんまりないんですよね」と言っていました。ちょっと意外な気がしたので、その意図を聞いてみました。

気づいていないことを書く

その人は、一般にはあまり認められていないこと、多くの人が気づいていないことを書きたいというのです。もちろんそれが自分の主張の発信と言えなくもないと思いますが、一番の動機は「こういううことに多くの人が気づいたら、いい社会になるのではないか、という期待感から」だと言うのです。

少数の人に寄り添う著者

ということは、発信する内容は、必然的にマイナーな内容になります。というよりも、多くの人が反発する内容も多く含まれるわけで、共感できる人も少ないかもしれない。でも同じようなことを考えている人たちはいるはずで「そういう人たちに少ないということで自信を失ってほしくないのです。だから書きたいのですよね」と語っていました。多くの人に感動を与えられる本も大事ですが、少数の人に勇気を与える本も好きです(と同時に、少数派と思っていても実は多くの人に支持される内容ってかなり多いのではないかと思い始めてきました)。

書くことは身を削る行為

少数派に向けた本は、トンガラナイと書けません(当の本人はトンガるという意識はなく、当たり前のことと思っているのですが)。ねたみや嫉妬からくるであろう批判も覚悟していました。書くことは自己満足を得るものではなく、身を削る行為なのだと思い知らされました。書きたいという欲求はなにゆえなのか。そこを考えることがとっても大事なのですね。

まとめ

考えてみれば、言いたいこと、書きたいことがあれば、webを使って世界中の人たちに向かって「タダ」で自由に発信できる時代。著者が、仕事として書くことの意味を考えさせられました。

==【昨日の活動・所感】==================

・著者取材+打ち合わせ。一対一のコミュニケーション、組織内でのコミュニケーションの難しさを痛感した1日。

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