この間、久しぶりに大手町へいった。かつて自分が働いていた場所とは思えないほど、馴染みがない場所になった。昼、時間があったのでランチによく行っていた店に行ってみた。むかしも今もそこにいる人は大勢いるのだけど、人は変わっているのだろうな。お店は人が来れば売上になるけれど、そこに来る人はどんな思いで来ているのかな、なんて思ったりした。

働き方を変えるとか働き方改革とか言われているけれど、あれがどんな意味があるのかよくわからない。自分が本来すべき生き方・働き方はひとつで、それをどれだけ気づけるかにかかっている。内省の時間が必要。「なぜそれをしているのか」。そこに仕事があるから、とか、だれかにそれを求められているから、という理由だけではなくて。

あのときはつねにイライラしていた。イライラというのは自分の思うようにならないということ。考えてみれば、世の中、自分とは違う人ばかりなのに「思い通りになる」をデフォルトとしているからつらくなる。読書会で『7つの習慣』を読んでいると、まったくできていないことがわかる。

最近、お会いする人に、かつての自分のダメ話をすると、意外に思う人は多い。「そんな過去があったんですね〜」という感じ。想像できないらしい。逆に、かつての自分を知っている人は、今の姿が信じられない。これを変わったというのか。

どちらも自分なのだけど、前より今のほうが、よっぽど自分らしい毎日が送れている。それはなぜか。うまく行かないことの連続だったり、いろんな人との出会いがあり、別れがあったり。「それはなぜか」考えざるをえない状況があったからだと思う。まだまだうまくいかないことの連続なので、考え続けることなのだと思う。「それはなぜか」。サラリーマンとか自営とか関係なく問うこと。それがすなわち働き方につながる。

サラリーマン時代は、とにかく忙しい思いをして、同僚と飲んでストレスを発散したような気になって、なんの目標もなくランニングしていて。「よーし!」とガッツポーズするような達成感がなかったような。表情も暗かったはず。最近は達成感が大きい。というか、小さいことでもそう感じるようになった。毎日、健康でありがたい、とかも含めて。会社にいるとき、まったく寝られない経験をしてから、寝ることに貪欲になった。日中から心地よい眠りを目指している(笑)。朝起きたとき、スッキリ感があると小さなガッツポーズ。日中、いい出会いがあると、大きなガッツポーズとか。

それはなぜかと小さなガッツポーズ。この習慣が身につくと、明るい未来が見えてくる。一ヶ月ぐらい前にあった人から得たもの。こういう出会いは本当に有り難いこと、つまりめったにないこと。

 

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