最近、記録を手書きで書くようにしている。なんとなく記憶にインプットされる気がするし、とにかくペンを動かしていると、アイディアが出てきたりする。

本を読んでいて気になったところは手書きでメモしているし、ライティングの案件も一端は手書きでざーっと書く内容を吐き出してみたりする。猛烈に非効率的な気がするし、絶対にパソコンでもできそうだけど、なんとなくそうはいかない。実はこれが質を高めるプロセスになっているし、結果的に効率的な気がしている。

自分は、スケジュールも紙の手帳。「手帳がないとすぐに予定が決まらないでしょ?」とも言われるけれど、いつも持ち歩いているので、そういうことはほとんどない。というか、そんなに急にスケジュール決めなくてはいけない案件はないし。スケジュール帳には体調や天気やふと頭をよぎったキーワードなどなんでもメモする。手帳を見ているだけでいろいろやるべきことや正しいスケジュールが見えてくる。なぜか会議中にこの手帳を見ているといろいろ思い出すことがある。退屈な会議も恐れることはない、と。そもそもそういう会議なくなったけれど。その手帳とは別にA4横のノートにあれやこれやランダムに書いてる。

そういえば、今年は喪中だったけれど、会社としての年賀状は出した。宛名は手書きで、ひとりひとりにコメントを書いた。手書きで文章を書いている時間は相手のことを思う時間だと思った。それからもあえて手書きではがきを結構出している。先日、友人から、事務所移転のはがきをもらった。宛名は手書きで、事務所移転の印刷された文章に加え、自分に向けての手書き文章がたくさん書いてあった。自分がもらったときの感情を考えると「やっぱりこれだよね」と思う。ブログを書いているから、年賀状は出さなくてもいいということにはまったくならない。手書きは相手のことを思う時間だから。この理由で、手書きがない年賀状には、出すことをやめている。ほぼ何も考えずに形式的に出しただけだと思うから。

相手に対する配慮といえば、話はやや飛ぶけれど、情報発信が大事とかいって、SNSやブログで自分のことだけを書くのに躍起になると、他人に対する気配りはなくなるよね、と思っているし、リアルでのコミュニケーションに絶対影響すると思っている。だからこそ、少しでもいいから相手を思いやる時間の積み重ねが大事なんだろうと思う。すべてはバランスの問題なんだろうけれど。

こういうことを思うようになったのも、年明けのファスティングがかなり影響している気がする。そのとき思ったキーワードは、前のこのブログに何度も書いたけれど「必要」と「欲望」。情報発信も情報収集も何が必要で、何が欲望なんだろうか。必要と思っている情報発信は実は欲望なのかもしれないと思う今日このごろ。

 

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