出版業界が抱える諸問題について、どう向き合うかは、業界としても、出版社としても、そこに携わる個人としても、いろんなレベルで考えて、模索している。このこと自体はいいのだけれど、なんか抜け落ちている視点もあるように思っている。

それは編集者の質もよくないほうに変化しているよね、ということ。でもそれはあまり問われることはない。編集者の仕事は、メーカーでいえば、商品開発なわけで、そこを問題視しないものへんだなあと。でも質の変化ってどうやって計るのか?とかだれが計るのか?とかどんな判断基準があるの?という疑問がでるのは当然。

自分は、どれだけその仕事に前のめりなのか、を観ることはひとつの指標になると思っている。その視点で近くにいる人が、観察するということだ。編集者は何冊も同時に仕事を持っていると思うけれど、それらに対して、エネルギー配分は等しくないと思う。めちゃくちゃ食いつく仕事と、そうでもない仕事、言われたからやる仕事などなど。近くで関心をもって観察していれば、その編集者がどれぐらい前のめりはわかるはずだし、わからないといけない。めちゃくちゃ前のめりな仕事が増えれば、編集に必要なスキルは自然に身につくものだと思っている。「やりたいけれど、これを知らないと思えば、前に進めない」と思えば、自ら知りたくなる。

出版社に入って、編集の仕事を上司から教わりながら仕事してきた、という人は少ないと思う。見よう見まねで、失敗しながら、知らず知らずのうちに仕事を覚えてきたという感覚。自分は完全にそうだった。教育のシステムがないから会社は常に即戦力がほしくなる。「一人前になるには3年」と誰もが判を押したように言うけれど、まったくは根拠ないはずだ。

自分が経験した失敗は、となりに座っている編集者はしなくていいよね、と会社員時代に思っていた。というか、それをやってたらまずいよね、と。でも言いづらい雰囲気に包まれていた。失敗とまでは言わなくても、基本的なことをしらない人が増えている、と組版会社の人から聞いたことがある。なんで周囲の人がもっと教えないのかなと。いつ事故がおこってもおかしくない状況って結構ある、と。でもそういうことは編集者にはフィードバックされない。発注ー受注の関係を考えれば当然だ。

持っている知識や失敗を常に共有する文化は信頼関係の中でしかうまれないので、そういう関係を作ることがとっても難しいのだと思う、個人プレーの多い書籍編集者はとくに。メールやいろんなITツールを使って「こと」がすんでしまえば、そういうコミュニケーションはますます少なくなる。たとえば、こういうことが、編集者の質に影響をしてきているではないだろうか?そんな文化は前からのもの、と思うかもしれない。だけど、前からやってきたことが通用しなくなっている証拠のひとつなのでは?とも思う。今は、自分自身が、教わることも教えることもないからこそ気になることのような気がする。それこそ、前のめり度が勝負なのだ。

信頼している人と意見交換しながら仕事することと、自立して仕事をすることは矛盾しない。それどころか、それができるということは、高度な人間関係を築いているということだ。出版流通のルートを考えたり、書店での露出の仕方を考えたり、取引先とのいろんな条件の見直しもするべきだけど、開発の現場のやり方を変えることも求められているのだと思う。それは業界ニュースに取り上げられる大きなトピックではなく、ひとりひとりがどれだけ前のめりに日々の仕事に関われるかということなのだ。

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