先日、ある出版社の社長と会食した。今年夏に友人の紹介で知り合い、意気投合。「あれができそう、これができそう」と飲みながら楽しい話をしていたのだけど、よくよく聞いてみると、お母様が入院中とのこと。それもあまり状態がよくない、と。こちらも父が長野で入院中であることを話すと、それはお互い大変ですね、と。その後会うことを控えていたのだけど、先月、社長のお母様がお亡くなりになり、うちの父もいなくなったので、お互いの故人に献杯を、ということで会うことになった。偶然なのだけど、意味のあることのようにも思えた。

その方はとても謙虚で、真摯で、ユーモアがあり、出版業界にこういう人がいることを本当に嬉しく思える。話の中で、自分がやっている仕事の価値を認めてくれたのは本当にありがたいと思うし、親の死に対する気持ちが同じで勇気づけられた。夕方5時から飲み始めて、5時間近くご一緒させていただいて、数多くの励ましや提案をいただいた上にすっかりごちそうになってしまった。

帰りの電車の中で、やるべきことはやらなければならないし、自分の目標に到達するための障害やハードルはなんとしてでも、乗り越えなければならないと思って帰ってきた。それ自体はとても普通の結論なんだけれど、その力強さは今までと違うことを実感する。

「こんな小さな会社でも余計なことを言ってくる人がたくさんいるんだけど、そういう人は連絡先削除だよね(笑)」と冗談交じりに言っていたけれど、残された時間は多くない、というのが率直な気持ちなのだと思う。仕事の規模感はまるで違うけれど、自分もそう思い始めている。今年うちから出した4冊のうち、3人が自叙伝的な章に「親の死」に触れている(残りの1冊は専門書なのでテーマとして書く余地がない)。自分も振り返るとそう思うのだろうなと思っている。

父が6月に倒れて以降、長野に頻繁に通って、思うことはたくさんある。意識のない父から感じたことも多い。倒れるその日まで医師として患者さんを診ていたことはだれにもできることではないと思った。ランニングの仲間を始め、友人、仕事の仲間など、本当にいろいろな人たちに支えてもらった。通夜・告別式には東京からわざわざ駆けつけてくれた人も。6月の滝行は、頭にも身体にも激痛を感じ、今月は感謝の気持ちが降りてくるという不思議な経験もしたり。この5ヶ月はとにかく忙しかったけれど、いい時間だった。あれからもうすぐ1ヶ月。

この社長とも縁をいただいたし、クライアントには恵まれているし、思いがけない出会いで新たな書籍の企画も進みそう。そういえば、15年ぶりに突然事務所に電話をかけてきたかつての教え子も。こういう人たちに囲まれていることは幸せだ。これらを糧として先に進まねばと思う。

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